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2014年2月21日金曜日

コリアンの妄想による歴史認識 それを応援する公明党

河野談話検証の中止要求=「歴史認識の根幹崩す」―韓国
時事通信 2月21日(金)10時22分配信
 【ソウル時事】韓国外務省当局者は21日、菅義偉官房長官が、従軍慰安婦問題での旧日本軍などの関与を認めて謝罪した河野洋平官房長官談話を学術的に検討する考えを示したことについて「これまで日韓関係の基礎となっていた正しい歴史認識の根幹を崩すことに等しい」と反発し、中止を求めた。


河野談話の見直しけん制=公明幹事長
 公明党の井上義久幹事長は21日午前の記者会見で、従軍慰安婦制度への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話について、 「日本が世界に発出した公式的な見解だ。その積み重ねによって、今の外交関係がある。尊重すべきだというのが基本的な考え方だ」と述べた。談話作成に当たり十分な裏付け調査がなかったことを理由に、見直しを求める自民党の一部の動きをけん制した発言だ。  
時事通信 2月21日(金)12時44分配信 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140221-00000106-jij-pol 

▲:一刻も早く河野洋平を国会に「証人喚問」して、捏造された慰安婦問題の真相を追及する必要がある。



「河野談話」根拠覆す石原証言 菅長官、聞き取り再検証を検討
2014.2.21 07:21 [「慰安婦」問題] 産経新聞
 石原信雄元官房副長官が20日の衆院予算委員会で、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」の作成過程について(1)日本軍や官憲が強制的に女性を募集したという客観的資料はない(2)談話は韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査に基づくが、裏付け調査はしていない(3)談話は軍や官憲の直接的指示での募集(強制連行)を認めたわけではない-の3点を証言した意義は重い。(阿比留瑠比)

 談話作成時の事務方トップだった石原氏は、これまでも産経新聞のインタビューなどで同様の認識を表明していた。また、第1次安倍晋三内閣も19年に「政府発見の資料の中に強制連行を示すような記述はない」と閣議決定している。
 極めてずさんで証拠能力が認められない元慰安婦の聞き取り調査が、事実上、唯一の河野談話の根拠だったことは産経新聞がすでに報じてきた通りだ。
 ただ、今回はNHKの全国中継が入る国会での当事者の証言であり、国民に河野談話の実態を周知する効果は小さくないだろう。

 これを受け、菅義偉(すが・よしひで)官房長官が元慰安婦聞き取り調査の再検証の検討を明らかにしたことも、問題解決に向けた一歩前進となる。
 河野談話は海外で「日本政府が正式に強制連行を認めた」と誤解・曲解を招き、荒唐無稽な「20万人強制連行説」や「性奴隷説」の根拠として利用されてきた。歴代内閣も外交問題化を恐れるあまり、この誤った風説が流布されるのを腕をこまぬいて見てきた。
 国内でも、こうした海外の誤解・曲解を正すどころかそれに迎合し、一緒になって過去の日本を糾弾するメディアや政治家が少なくなかったのも現実だ。
 この12日にも、村山富市元首相が韓国の国会で「軍や業者、慰安婦の皆さんの証言、調査をまとめたもので、信頼すべきものだ」と講演している。
 村山氏が何を根拠に「信頼すべきもの」と断言したのか不明だが、今回の石原氏の国会証言はくしくもこれへの反証となった。
 何より問題なのは、談話が事実や証拠に基づくものではなく、「強制性」を認めれば慰安婦問題は収まるとの日韓の政治的談合でできたことが改めて明確になったことだ。
 「当時の日本政府の善意が生かされていないのは、非常に残念だ」

 石原氏は予算委で慰安婦問題の現状をこう嘆いた。だが、国際社会では善意がねじ曲げられることは珍しくない。




2014年2月19日水曜日

友人と旭岳登山


 先週の週末は、北見に住む友人と旭岳登山。彼らと登山口であるロープウェイ駅で落ちあい、スノーシューで登る。最近は山スキーよりもスノーシューでの登山が多い。滑り下りる快適さはないものの、身体に負担がかからず、楽なのである。まぁ、齢を取ったということなのだろうけれども。
 上の動画は3年前のもの。最近は写真や動画を取るのも面倒―というか、興味がなくなり、自分の眼だけで見て、それでいいと思えるようになった。
 旭岳のこの姿は、3年前も、30年後も、ひょっとしたら3000年後も、全く変わらないものかもしれない。
 友人たちは夕方北見に戻り、私一人が旭川のホテルに泊まる。本当は、旭川郊外の半分公共施設のような宿泊所に泊まりたかったのだけれど(旭川の街は渋滞と駐車場の少なさで有名)、その施設が満杯のため、仕方なくホテルを予約した。
 しかし、大きな・有名なホテルなのに、その駐車場の狭さときたら!
 雪でガタガタデコボコの、狭い駐車場。しかも細長い敷地で、出入口は一つのみ。駐車のための線も見えないので、駐めてある車の間隔もデタラメ、1・5メートルくらい間隔を開けているものもある。もちろんそこには車は入らない。ちゃんと詰めて駐めれば、後2台や3台は楽に入れるのに……。バックで細いデコボコ道を慎重に戻り、ホテルが契約している他の駐車場に行く。そこも同じように狭くて……。そういえば、旭川市民会館の地下の駐車場も、狭くて入れにくいものだった。旭川という街は、駐車場に関しては呪われているとしか思えない。
 二度と旭川中心部のホテルには泊まらないと心に銘記した。
 ちなみに、東横インの駐車場も、朝のチェックアウト時には、立体駐車場の順番待ちをすることになる。氷点下20度近い朝の酷寒地獄の外気の中で(!!!!)、10分以上も駐車場の操作の順番待ちをしたことがある。悪夢だった。

 驚いたことに、春志内トンネルの照明が一新されていた。まるで野球場のカクテルライトのような輝きで満たされている、特に出入口付近は。このトンネルは私が学生時代には出来ていなかった。トンネルの外側の崖沿いの道をクネクネ走っていた記憶がある。このトンネルが出来てから、だから30年前後だと思うけれども、長くて湾曲していて、何よりも「暗い」ので、毎年のように人身事故――毎年のようにではなく、毎年、人身事故・死亡事故が起きていた。これまでにこのトンネルで何十人、ひょっとしたら100人以上死んでいるのではないだろうか。
 で、ある日、霊感の強い山仲間とここを通ったときのこと。
 彼が真っ青になり、震え出した。事故死した多数の霊が云々と、彼はウンザリした口調で説明した。霊感が強過ぎて、こうした場所にくると・遭遇すると、身体が反応してしまうのだという。
 もちろん、私は霊も霊感も信じない。
 けれども、ここで死亡事故がしばしばあって、トンネルが通行止めになっていたのは事実。
 で、やっと、照明を一新して、事故予防を図った、らしい。遅すぎるだろう。
 それでも、これからは、春志内トンネルでの死亡事故はグッと減ることだろう。

 北海道の某温泉地の某有名ホテルには、幽霊が出るらしい。
 私は霊も神も信じないけれども、その某有名ホテルには、絶対に泊まらない。
 君子危うきに近寄らず、松浦幽霊に近寄らず。
 そんなことを思いながら、春志内トンネルを抜けて、札幌に戻ってきた。








2014年2月11日火曜日

北海道の和食カフェテリアは最低 「ザ・めしや」レベルの店は一軒も無い

 今日は休日。昼は、ふと、いろいろな惣菜を選べる和食のカフェテリアに行きたくなる。
 しかし、自宅から近くにあるそうした店は、白石区の×という店しかない。2年くらい前に一度入ったことがあるけれども、どの惣菜も不味かった。
 しかし、である。あれから2年。2年も潰れずに客が入っている、ということは、味が良くなっているのか、それとも2年前の私の判断が誤っていた、という可能性がある。
 ということで、2年ぶりにその店に入って、並べられている30種類くらいある幾つもの料理・小鉢などから選んで食べてみた。
 ……本当に、不味い。

 何年か前、桜井市の聖林寺を訪ねた。そこの十一面観音像を観てから、昼食を取るために立ち寄った店が、ここである。

http://www.meshiya.co.jp/meshiya/index.html

 この『ザ・めしや』の、橿原畝傍店。
 見た目も鮮やかで美味しい料理・惣菜小鉢の数々に驚いた。味も十分に満足できる。この店と比較すると、北海道の和食カフェテリア店(その後何軒か入った)は、どこも全く悲惨の一語に尽きる。
 この橿原の店の記憶があるので、時々無性に和食カフェテリア店に入りたくなる。
 そして、北海道の店のどこに入っても、その料理のレベルの低さに唖然とする。
 北海道の素材はいいのだろう。魚も肉も野菜も、「料理しなければ美味しい」。ところが、高級割烹料理店は別として、庶民レベルの和食店といえば、どれもこれも、ヒドイ……。
 関西から来た友人は、
「北海道には料理の伝統が無いんだよ、そもそも」
 と呆れていたけれども、少なくとも、庶民レベルの和食カフェテリアの御粗末さを見る限りは、その友人の言葉は100パーセント当たっている、まぁ、ラーメンぐらいのものだろう例外は。

 『ザ・めしや』レベルの店が北海道にできないだろうか。
 北海道で出店すると、朱にまじわるように、まずい料理を出すようになるのだろうか。
 そんなことを考えながら、休日の、ヒドイ昼食を終えた。

 北海道の和食カフェテリアが潰れずに店をやってゆけるのは、北海道の人間がそもそも味に無頓着だからなのだろう。
 京都に行って、美味しいおばんざいの店に入るたびに、自分が料理僻地に生まれ育ったことを痛感させられる。




2014年2月8日土曜日

またコリアン系が生活保護不正 その他コリアンが日本でやっていること



クラブ経営で1億円超収入も「無職」と申請 生活保護不正受給の夫婦を逮捕 警視庁

2014.2.8 08:16 [詐欺・出資法違反] 産経新聞
 東京都足立区に住む韓国籍の50代の女が韓国人クラブを実質的に経営して1億円超の売り上げがありながら、無職を装って生活保護費数百万円を不正受給していた疑いがあることが捜査関係者への取材で分かった。警視庁組織犯罪対策1課は7日夜、詐欺容疑で女と日本人の夫を逮捕した。夫妻は別居を続けており、組対1課は生活保護費を受給するための偽装結婚だった可能性もあるとみて実態解明を進める。
 捜査関係者によると、夫妻は数年前、足立区役所で無職と偽って生活保護費を申請。女が約3年前に同区内で韓国人クラブを開業した後も毎月十数万円、総額数百万円の生活保護費を不正受給していた疑いがもたれている。
 申請時に入金がない預金通帳のほか、夫に持病があるとの診断書を提出し、夫の介護のために女も働けないと説明していた。
 クラブの名義上の経営者は知人男性だったが、組対1課は女が売上金やホステスを管理するなど実質的に経営していると判断。売り上げは約3年間で総額1億円超に上るとみられる。女は同区内のマンションで暮らし、高級車で通勤する姿が確認されている。
 夫にも廃品回収などで数百万円の年収があった。組対1課は生活保護費を夫妻で分配していたとみて資金の流れを調べている。


その他「韓国籍」関連のニュース

マンション忍び込み、窃盗容疑で韓国人兄弟を逮捕
TBS系(JNN) 2月4日(火)12時44分配信
 オートロックのマンションに忍び込み、住人が寝ているすきに現金を盗む手口で、およそ40件もの犯行を繰り返していたとみられる韓国人の兄弟2人が警視庁に逮捕されました。
 窃盗などの疑いで逮捕されたのは韓国籍のキム・トンホン容疑者(37)とその弟です。警視庁によりますと、2人は去年11月、東京・渋谷区のマンションでカギがかかっていない部屋に侵入し、現金5500円とクレジットカードを盗んだ疑いなどが持たれています。
 キム容疑者らは短期ビザで日本に入国し、数件の犯行を終えると帰国していて、取り調べに対し、『オートロックの高級マンションはカギがかかっていない部屋が多いので狙った』と供述しているということです。
 警視庁はキム容疑者らが東京都内のマンションで住人が就寝中におよそ40件の窃盗を繰り返し、被害総額は1000万円に上るとみて裏付け捜査を進めています。(04日11:34)


女性の顔に唾「スッとした」 韓国籍の24歳男を再逮捕

産経新聞 2月4日(火)9時46分配信
 路上で女性の顔などに唾を吐きかけたとして、大阪府警此花署は3日、暴行容疑で大阪市此花区西九条、会社員で韓国籍の趙昌彦被告(24)=同罪で起訴=を再逮捕した。容疑を認め「女性に唾を吐き、気持ちがスッとした」と供述しているという。
 同署によると、平成24年9月~25年11月、同区と隣接の福島区で女性が男に唾を吐きかけられる事件が二十数件発生。このうち、趙容疑者は昨年3月中旬に市内の路上で小学生の女児に自転車で近づき唾を吐きかけたとして、1月9日に暴行容疑で逮捕されていた。
 再逮捕容疑は昨年夏ごろ、市内の路上で自転車で走行中、すれ違いざまに女性の顔や服に唾を吐きかけたとしている。




PS 靖国神社に放尿して凱歌を上げるコリアンの仲間が、神社に入れずに警察に排除されていることも、コリアン半島では大ニュースとして報道されている。コリアンが靖国で放尿し、富士山で野グソしている現状を考えると、コリアンの幼稚な行動が警察によって事前に阻止されるのも仕方がないだろう。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51487520.html#more
社会団体、我が同胞(ウリギョレ)が一つになる運動本部関係者と韓国大学生らで構成された'2・8 独立宣言95周年大学生東京遠征隊'が今日(7日)午後、日本東京都千代田区の靖国神社を訪問しようとしたが日本警察に制止されています。 

彼らはこれに先立ち安倍内閣の安保政策右傾化と靖国神社参拝などであらわれた誤った歴史意識を糾弾すると明らかにしました。 

ソース:SBS (韓国語) [ホットフォト]靖国行韓国人大学生らを制止する日本警察 
http://news.sbs.co.kr/section_news/news_read.jsp?news_id=N1002222990 

関連スレ: 
【東京】靖国で抗議活動をしようとした韓国の大学生「二・八東京遠征隊」、警官に阻止される[02/07] 
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1391775262/ 
【韓国】 二・八独立宣言から95年、韓国の学生「二・八東京遠征隊」日本訪問へ~靖国神社などで糾弾パフォーマンス[02/06] 

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1391697850/







arb 腎機能

 暇な土曜日、東京美術館巡礼についてあれこれ整理していたら、知り合いの開業医から突然電話がかかってきて、ARBと腎機能障害について、あれこれ話を聞かされる。まぁ、詳しくは話せないことだけれど……。
 開業している医者は大変だな、と思いながら、展覧会の図録を手にしながら少し上の空で携帯電話から流れてくる話を聴いていた。
 私はノルバスクしか服用していないので、大丈夫だとは思うけれども……。
 最近、まじめに血圧も測っていない。脳血管障害で半身不随とか寝たきりになるのはいやなので、しっかり自己管理しなければならないのだけれども、血圧なんかよりも痛風とか歯痛とかの悩みに追われて、日々を過ごしている。幸い、髪の毛は無いので、抜け毛の悩みなんてものは無い。

 それにしても、開業医というのは、本当に大変だなぁと、話を聞いていて、心の中で大きな溜息をついた。札幌は昨日は日中でもマイナス7度。今日も似たようなものだろう。






2014年2月7日金曜日

ハワイには日系人よりもコリアンが多い 「記事にするぞ」(新聞・週刊誌)は脅しじゃなくて「ネットに書くぞ」は脅し?

韓国系多い州危ない…政府「東海」飛び火警戒
 【リッチモンド(米バージニア州)=今井隆】米バージニア州下院は6日の本会議で、公立学校の教科書での日本海の名称に、韓国が主張する「東海トンヘ」を併記するよう求める法案を可決した。
 これを受けて、日本政府は国際的に確立している「日本海」を単独で呼ぶように米国内の各州に働きかけを強める考えだ。
 法案はテリー・マコーリフ州知事の署名などを経て近く成立する。6日の下院本会議では、韓国系のマーク・キーム議員が1910年の日韓併合に触れ、日本海の表記について「日本が侵略するためにこの海を越えてきたことを思い出させる」と主張した。
 韓国の一方的な主張が米国の地方議会に反映される背景には、1970年代以降に本格化した韓国系移民の人口増加と祖国への強い帰属意識がある。韓国系移民で作る「韓国系米国人の声」のピーター・キム会長は6日の記者会見で「ワシントン周辺には多くの韓国系米国人がいる」と述べ、他州の教科書に「東海」併記を広める意向を示した。
 これに対し、菅官房長官は7日の記者会見で「可決はきわめて残念だ。米国政府も日本海の単独表記を支持している。国際社会に正しい理解と支持を求めて、しっかりと主張していく」と述べた。
 日本政府の在米大使館関係者は「韓国系の人口が多い州はどこも危ない」と指摘し、カリフォルニア、ニューヨーク、ニュージャージーなど韓国系が目立つ州への飛び火を警戒している。
(2014年2月7日19時24分  読売新聞)
▲:木梨憲武@酒井法子@覚醒剤 が、よく、ハワイに行き(別荘も持っていたのかもしれない)、ハワイを紹介するテレビ番組にも出ている。実は、ハワイには、日本人・日系人よりも、コリアン・コリアン系アメリカ人が多いのである。コリアンが多いハワイ州で、捏造慰安婦像とか東海とかの話題が出ないのは、日本人が観光客として数多く行っているから。つまり、バージニア州は、日本人を貶めても「損はしない」、票を握っているコリアン系が多いのだから。今後も、利権や票がらみで、バージニア州と同じ道を選ぶアメリカの自治体も増えてくるだろう。日本人としては、まず、そうした場所を避けるようにするしかないし、ハワイに捏造慰安婦像が出来たなら、ハワイ以外の観光地を考えればいいだけのことである。


http://www.asagei.com/19236
「とんねるず」に亀裂!?木梨憲武が地上波からフェードアウト
 お笑い界の重鎮「とんねるず」の石橋貴明(52)と木梨憲武(51)。コンビ結成34年目にして方向性の違いが出てきているという。
 1月2日、とんねるずの二人は各スポーツのトップ選手達と対決する「テレビ朝日開局55周年記念 とんねるずのスポーツ王は俺だ!! 15回記念5時間スペシャル」(テレビ朝日・ABC系)に出演した。
「ゴルフ対決コーナーには、毎回、石橋さんと木梨さんが参加しているのですが、今回は石橋さんのみで、木梨さんが出ていなかったんですよ」(芸能プロ関係者)
 木梨が正月特番のコーナーで欠席する理由は、テレビへの意欲に変化があるからだとバラエティ制作スタッフが語る。
「これからの木梨さんは、自身の趣味を兼ねたマイペースな仕事をしていくそうです。オリコンのインタビューで、木梨さんは『僕はそろそろドキュメンタリーを中心にやっていこうかなと思っています。従って、BS方面にスライドして行く。ゆっくり30分歩いてノー編集で、ハワイのことを紹介する番組をBSフジ(『木梨目線! 憲sunのHAWAII』)でやっているので、ぜひ観てください』と地上波には興味なしといった感じ。少なからず石橋さんとのテレビ意欲に違いが出てきていますね」
 木梨の地上波からのフェードアウトで、とんねるずに亀裂が生じてしまうのか!?




「ネットに書くぞ!」は脅迫で、許してはいけない 「爆笑問題」の田中がファンの発言にキレる

2014/2/ 7 19:02 JCAST
   「爆笑問題」の田中裕二さん(49)がラジオ番組で激怒した。テレビの生放送に司会として登場する直前にファンからサインをしつこくねだられた、というのだ。筆記用具も持っていなかったため「ごめんなさい。あとでするから」と断ると、ファンは残念そうなそぶりをした後、「ネットに書くからね」と言ったのだそうだ。
   ネットに流れた噂話のせいで仕事が無くなったり、スポンサーが離れてしまったりする芸能人もいる。田中さんは「ネットに書く!」といって何かを要求するのは脅迫であり、絶対に許してはいけないことだと思う、などと強調した。
生放送直前にサインをねだられ断ったのが発端だった
   田中さんが出演したのはTBSラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」の2014年2月5日放送分。怒りが込み上げしてしまう出来事は14年1月3日の生放送、NHK「初笑い東西寄席」でのこと。総合司会だった「爆笑問題」の2人が出番待ちをしているときに一人のオバサンがサインを求めてきた。田中さんは、
「もうすぐ生放送の本番だから、ごめんなさい、今はちょっと出来ません」
と断ったが、「サインちょうだい」と退かなかった。しつこさに根負けした田中さんが「マジック(ペン)とか持ってる?」と聞くと、持っていない、ということだった。
「それじゃあもう、本当に(サインが)できないから、ゴメンゴメン、後でするから」
と言ったところ、
「エッーーーー!わかった。じゃあ、もう、ネットに書くからね」
と言われたのだという。田中さんは「そういうこと、しないでよ~」とおどけて見せたが、頭の中は激しい怒りが渦巻いていた。ファンの言葉は捨てゼリフだったのか、それともギャグのつもりで言ったのかはわからないが、「ネットに書く」という言葉がどれだけ悪いのか、暴力的なのかを理解しているのか、と批判した。ネットに書かれた噂話で仕事を無くしたり、スポンサーが離れたりすることもありうるわけで、
「そんなのもう、今、脅迫だよ。オレはちょっと、絶対許しちゃいけないと思う」
とキレまくった。

自分が非常識なのを知らずにネットに投稿する人が増加

   ネットでは田中さんがここまで怒りを露わにするのはよっぽどのことだ、とか、芸能人はこんなにネットを恐れているのか、などと話題になっている。
「そもそもこれは立派な脅迫罪だからな」
「俺も有名人はどんどん訴訟したらいいのにと思う。ネットは完全自由だと思ってる餓鬼多過ぎ」
「叩ける理由が少しでもあれば叩いてストレス解消したいやつで溢れてるから、オバサンがサインのことをネットに書いたら少なからず炎上すると思うよ」
などといった意見が出ている。また、サインをしてくれと言われるのは芸能人の有名税のようなものだから、こんなことでキレるのは芸能人として失格だと主張する人もいる。
   ITジャーナリストの井上トシユキさんは、「ネットに書くぞ!」などと発言するのは明らかに「脅し」だが、それがいかに非常識なことなのかわからない人が増えている、と分析している。ツイッターやラインを使うことが生活行動の中に組み込まれてしまい、見たり聞いたりしたことをよくも考えずにネットに投稿する。そこには公には言ってはいけないことや、自分が非常識であることに気が付かないまま、常識ある相手を悪者にしている、という場合も少なくない。
「不適切な写真をツイッターにアップしたバカッターがいい例ですが、『ネットに書くぞ』と脅したとしても、今はそんな非常識な告発者がネットで叩かれます。ネットでの発言には思慮深くなることが必要だと思います」


イルカ漁禁止訴え書簡 ケネディ大使に米芸能人ら
 【ワシントン共同】AP通信によると、米国の音楽関係者が有名芸能人らの賛同を得て、環太平洋連携協定(TPP)と絡め、日本のイルカ漁をやめさせるようキャロライン・ケネディ駐日米大使に書簡で訴えた。書簡は5日付。
 ヒップホップ音楽プロデューサーのラッセル・シモンズさんが中心となり、俳優のショーン・ペンさんやスーザン・サランドンさん、ウィリアム・シャトナーさんらが賛同した。
 書簡は、和歌山県太地町で行われているイルカ漁を日本が禁止しない場合、オバマ大統領がTPPに署名しないようケネディ大使に働き掛けを求める内容。

2014年02月07日金曜日 河北新報



気になったニュース 村上春樹 倉本聰

村上春樹「心苦しく、残念」町名変更へ 小説のたばこポイ捨て記述めぐり
デイリースポーツ 2月7日(金)17時55分配信
 作家村上春樹氏(65)が月刊誌文藝春秋昨年12月号に発表した短編小説「ドライブ・マイ・カー」の表現をめぐり、一部で物議をかもしたことなどを受け、村上氏が7日、文藝春秋を通じてマスコミ各社にファクスで見解を発表。単行本化の際には、指摘された町名を変更する意向を明かした。

 小説では、中頓別町出身の女性運転手がたばこをポイ捨てし、主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と思う場面について、北海道中頓別町の町議が「ポイ捨てが普通のことに受け取られる」と抗議。文藝春秋に7日、質問状を送付した。


 文藝春秋は同日、町議からの質問が届いていないことを説明した上で、「『ドライブ・マイ・カー』は小説作品であり、文藝春秋は作者の表現を尊重し支持します」との見解を示した。


 【以下村上氏の見解全文】


 「僕は北海道という土地が好きで、これまでに何度も訪れています。小説の舞台としても何度か使わせていただきましたし、サロマ湖ウルトラ・マラソンも走りました。ですから僕としてはあくまで親近感をもって今回の小説を書いたつもりなのですが、その結果として、そこに住んでおられる人々を不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです。中頓別町という名前の響きが昔から好きで、今回小説の中で使わせていただいたのですが、これ以上のご迷惑をかけないよう、単行本にする時には別の名前に変えたいと思っています」




倉本聰氏「日本禁煙学会」痛烈批判

2013年11月1日
 脚本家の倉本聰氏(78)が31日、都内で、愛煙家シンポジウム「たばこはそんなに悪いのですか?」に出席し、NPO法人「日本禁煙学会」(東京)をばっさりと切り捨てた。
 同学会が今年8月にスタジオジブリ・宮崎駿監督の新作「風立ちぬ」に喫煙シーンが多いと問題視したことに、倉本氏は「時代劇は刀を差しているから、けしからんと言っているのと同じ。ガキが言っていることに反論することはない」とこき下ろした。
 また、東京都三鷹市で私立高3年鈴木沙彩さん(18)が刺殺された事件について、鈴木さんの親戚にあたる倉本氏は「それはいいです」と質問を手で制した。
▲:この男がTBSのBSでやっている対談番組の先日のゲストが加藤登紀子だった。同じ穴のムジナなのだろうなと思った。この男が(男も?)、早稲田かどこかを拠点としている「特殊なキリスト教」と関係しているのかしていないのかは、不明である。いずれにしても、タバコ問題でも明らかなように、ろくなやつではない、と思う。昔、よく(?)、噂の真相の中表紙の絵に登場していたのがこの倉本聰という男だった。




1月22日 その2 モネ展

 

昼、パンダ橋の上(?)にある和食屋で刺身定食を食べる。



夜、ホテルの近くの「やよい軒」で、チゲ鍋定食を食べる。









 21日の夜、テレビを見ていたら偽善者・古舘伊知郎の番組に、横地明子という名の記者が出ていた。オウム裁判について語っているのだけれども、その異様なイヤリングが話の内容とまるでマッチしないのが印象的だった。こんなピラピラ揺れるイヤリングをして、裁判所を歩き回っているのだろうか、と、不思議な気持ちで見ていた。
(*毎日は福本容子ビッチ、読売は越前谷ビッチ、ということで、朝日系からも誰かビッチ記者が出て3札揃わないかな、と思っていたら、有力な候補としてこの横地明子が登場してきた。)



1月22日 ホキ美術館と写実

 1月22日。
 この日は土気にある(千葉市緑区らしい)、ホキ美術館と、上野でやっているモネ展(国立西洋美術館)に行ってきて、痛風前段階で痛む左足をひきずりながら、やっとの思いでホテルに戻ってくる。

 7時前にホテルを出て(ということはつまり、悲しくなる東横インの朝食は摂らずに、ということ)、浅草線に乗って日本橋で降り、京葉線の場所を確かめてから、「エキナカ」で朝食を取ろうと思っていた。空腹だった。
 しかし、京葉線のホーム(地下深く)に辿り着いたら、そこからまた「エキナカ」に戻るのが面倒になり(痛風前段階で左足が痛むというのが最大の理由)、そのまま、蘇我行の各駅停車に乗り込む。1時間以上(?)かかって蘇我に着き、そこから外房線に乗り換えて土気で下車する。8時半は過ぎていた。朝から何も食べておらず、激しい空腹感に苦しむ。だから、駅前にモスバーガーを見つけたときは、「地獄でモスバーガー」と手を合わせて感謝した。この店以外には、朝食を取れそうな店は一軒も無かった。ハンバーガーは痛風で食べれないので、食パンの朝食セットを注文する。



 店の中の円形テーブルには、20歳くらいのカップルが身体をぴったりとくっつけていちゃついていた。
 店員の応対もまともでいい店なのだけれども、いかんせん、喫煙室からタバコの臭いがかなり漏れてきている。安いベニヤで囲ったような喫煙室の中では、2人の男が、一生懸命肺癌になろうとして煙を吸って・吐いていた。密閉性が悪くて、発がん物質を店内に十分に拡散させるのに役立っているようだった。ホキ美術館に行くバスの時間までは20分以上あったのだけど、タバコの煙にウンザリして、空腹を満たすと直ぐに店を出た。
 普段なら、散歩がてら、美術館への1キロくらいの道なら楽しんで歩くのだけど、痛風前段階(膝が腫れている、痛みは少し。ただし、歩くとふくらはぎが痛む)なので、バスを利用した。
 9時20分には美術館に到着するも、開館は10時からだった。仕方ないので、足をひきずりながら「昭和の森」を見物する。



 芝生に雪が2,3センチ積もっていた。公園の周囲の歩道を、小型ブルドーザーが大げさに除雪していて(たった2、3センチの雪を!)笑ってしまった。雇用対策として、こうして無意味な除雪をしているのだろうか、それともこの程度の雪でブルドーザーを「繰り出す」のがこの地の常識なのだろうかと、頭を悩まる。
 公園に接する住宅街は整然として、犬を連れた散歩の奥さんから「おはようございます」と挨拶された。私も足をひきずりながら挨拶を返した。


 10時になり、最初の入館者として美術館に入る。最初のうちこそ人は私を含めて2、3人しかいなかったのだが、20分もすると大勢の人たちがやってきて、大声で話を始める。狭い空間なので声が響く。安藤忠雄のお笑い美術館(パッチギ美術館)ほどではないにしろ、騒音に追い立てられるようにして絵を見るために、地階へ地階へとギャラリーを降りていった。

 ちょうど「ホキ美術館大賞展」というのをやっていて、数十作品がこの鉄鋼のオバケのような空中ギャラリーに展示されていた。殆ど全て、退屈な作品。唯一例外だったのは、石川和男の「海風を歩む」だけが、ある種の抒情性をうまく表現していた。

(このページにある「海風を歩む」と、ホキ美に展示されていた同名の作品とは異なる)

 どこか、階段を下りるところの壁に、ゾッとするほど凡庸な肖像画の大作が幾つか並べてあった。後で調べてみると、中山忠彦という画家のものという。素人展覧会のどこにでも転がっているような絵が、ホキ美術館のお気に入りなのだろう。
 階下に降りてゆくと、この美術館が誇る「写実画家」の代表作が次々と現れてくる。
 どれもこれも、何ら感動を呼ばない、死んだような絵。
 もちろん、写実的な絵に名作は多い。印象主義が最高だと言う気はないし、ロマン主義の多くの名作も写実主義に基づいている。しかし、ホキ美術館の「名作」は、どれもこれも「絵にとって最も必要なもの」を欠いている。
 ホキ美術館の「名作」(私には駄作)を見ながら、ふと、武井咲を思い出してしまった。
 つまり、「無駄に美人」ということである。
 武井咲は、他のゴリ押しオスカー女優たちとは異なり、端正な顔立ちの正統派美人だと思うのだけれども(田舎でヤンチャしていた頃の写真はどこかの圧力によって全て消されたらしいが)、では、映画でもテレビドラマでも、人を感動させるような・あるいは高く評価されるような「作品」に出ているだろうか?
 何も無い。今、テレビでやっている『戦力外捜査官』などは、番宣フラッシュを見ただけで、子供向けのゴミ番組であることは一目瞭然だろう。
 つまり、残念ながら、武井咲は、女優として演技力が無いのか・それとも事務所のゴリ押しでクダラナイ作品ばかりに登場させられているからなのかは不明だが、「無駄に美人」なのである。コマーシャルで笑っているだけの働きしかしていない、させてもらってはいない。
 同じように、ホキ美(ホキ美術館)に展示されている、写実画家たちの殆ど全てが、ある程度の技量を持ちながら、しかしそれでいて死んだような絵しか描けない――それを評して、「無駄に写実」と言う。

 ここがポイント。
 武井咲は 無駄に美人
 ホキ美は 無駄に写実

 ホキ美の「死んだ絵」の中での唯一の例外が、塩谷亮の『久遠』という作品だけれども(これはこの年代の女性の持つ不安とアンニュイと希望と美しさが渾然となった一瞬を見事に捕えている)、他の塩谷亮の作品は、あれあれ、他の画家たちと同じように死ぬほど退屈なものである。
 技量に溺れて、どうだ巧いだろう、というだけの無意味な作品の典型は、石黒賢一郎が、従妹を描いたという、ふざけた作品名の肖像画。これだけの素晴らしい技量を持ちながら、こんなクダラナイ絵しか描けないということが、却って哀れを誘う、憐れむしかない。

 帰り、ホキ美について書かれている『写実絵画の魅力』(安田茂美・松井文恵・共著)という本を売店で買った。
 美術館を出るとき、この美術館(ホキ美)の無惨さを嘆きて詠みける二首。

はるばると 足を引きずり 来てみれば
       無駄に写実の ホキ美のダメ絵

見渡せば 愛も希望も なかりけり
       ゴミ絵果てなく ホキ美術館



 もう二度とこの美術館に来ることはないだろうと思った。入館料は1800円と高いのに、こんな死んだ絵ばかり見せられてはたまったものではない。
 ホテルに戻って、買ってきた本を読む。札幌に戻ってから、読み終える。本の中には、野田弘志のインタビューも収められていたので、以下に引用する。

(P37~)
 ただ、今どこの大学もデッサンを重視しませんね。藝大で、ある先端系の先生がそんなことやってたら芸術家になりはぐれると脅かしたという話がありますが。僕は思うのですが「芸術ってなんだ」という問題です。それを踏まえて勉強すべきです。
 《哲学がなければリアリズムではない》
 僕が考える芸術は流行とかでなくもっと精神の深いところ、いつの時代でも見飽きない褪せないものであって、それは世界の美術史の動きからいうと、写実絵画はもう過去だということになっている。でも過去ではないと思う。僕は写実絵画だけは残っていって、後はどんどん新しい表現を求めて先端を走る人たちがいればいいと思うのですが、その場合、どうしても理屈やコンセプトが先にいくんですね。でも芸術でいちばん大切なのは精神、人間の魂だと思うのです。その結晶が芸術だと思いますし、ヨーロッパ的な考え方ですが、「死すべき人間、では何をすべきか」ということだと思うんです。死すべき人間が「死とは、人生とは」を真剣に考えるのが哲学だと思うのです。それは永久にすたれない、人間として生まれて宿命を背負っていやおうなしに死ななければいけないのですから、それを真剣に考えたところで、その上に出てくるものがリアリズムだと思う。つまり哲学があってリアリズムがある。哲学がなければリアリズムではない。
(P47~)
――今後の作品は?
 《絵の中に人生観を盛り込む》
 人間ばかりこれから描きたいんです。人は美しい。生まれて、生きて、消える。永遠に消えると思うので、かけがえのない大事な時間、存在ですね。そのことこそが美だ、美しさだと思う。それを描きたい。僕は絶対絵画をやりたい。だからそのためにはマラルメのように、純粋に本当に見つめることをしなければ。それを純粋に描く。じゃまなものはI切捨てる、余分なものはいらない。人間ひとり、そういう考え方ですね。
 誰が言ったか知らないけど、「美は一瞬の宗教である」と。ただきれいな飾りになるのでなくて、そうでないものでありたい。美は神になり得る。
(引用終わり)


 素晴らしく「高尚なこと」を述べている。美は神になり得る……か。
 神、なんていう言葉を持ち出されると、無神論者の私は尻尾を丸めて尻尾の先を噛むことしかできないのだけれど……。
 で、上に引用したホキ美パンフレットの中にある『聖なるもの―THE-Ⅳ』というのが、野田弘志の作品の一つである。洞爺湖近辺に在住するこの画家の敷地にあった鳥の巣を、アトリエに運んで写真を撮り、巣は元に戻して、その写真から描いた絵であるという。写真から起こす起こさないは、絵の価値・力とは関係は無い、ただただじっとこの作品を見るといい。画家にとっては、これも「絶対絵画」の一つなのだろう。しかし私にしてみれば……無駄な写実である。
 もちろん、私に観賞力が無い、少なくとも画家が望んでいるような観賞力が無いだけの話なのだろうし、この絵に・こうした絵に対して感動を覚える人も多いのだろう、私はただ、”So what?”と呟くしかない。
 野田弘志の作品としては、他に、ドレスのロシア人女性・同じ女性の裸体画、保木将夫と谷川俊太郎の肖像が記憶に残った。特に、佐野洋子の再婚相手である谷川(後に離婚しているが)については、この男の愚劣さについて佐野が著書の中で時々サラリと描いているのを思い出しながら絵を眺めた。

 野田弘志以外の写実画家も、この本の中で「高尚なこと」を述べている。

大畑稔浩
(P74~)
禅の修行のような写実絵画の制作
 絵を描き始めたとき、普通に写真のように本物そっくりに描いてみたいという気持ちが土台にあったのですが、描いていく過程でものを見つめるという作業が禅の無我の修行に近く、あらゆるものを受け入れることがひとつの条件のように感じました。全身全霊で描くというストイックな部分と無我な部分が共存していくのが写実絵画だと思うのです。私は自然を描いているので、自然に対する恩恵やいろいろな意昧での感謝の念、生かされているという幸福感があって、今はそれを絵の中に入れようとして描いています。
 写実は、自分の思想や哲学なりを表す方法論のひとつだと思います。その先に「物事の本質とは何だろう」とか「存在とはどんなものだろう」がある。例えば花はどんどん変化していきますし、人間でも百日くらいすると全部細胞から何から変わって別のものになるけれど、自分は自分としているわけです。ものを見つめ続けることによって考え、本質を表したいという感情が芽生えてくる。私の場合は風景と人の営みを共存させることが多いのですが、例えば海辺の廃船や桟橋などがだんだん朽ちてなくなっていく。そこに仏数的な「諸行無常」や「生老病死」を感じ、舟を擬人化してみたりするのです。宗教的な価値観をもって見つめるというのが根底にあります。               


森本草介
(P126~)
 そうした穏やかな作風の森本草介であるが、秘めたる情熱と力強い不屈の精神が宿っている。それは幼い頃の記憶にさかのぼる。子どもの頃、日中戦争が起こり、大陸で美術の教員をしていた洋画家の父、そして母や幼い弟、妹とともに九死に一生を得て、日本へ引き揚げるという経験をしている。
 「昼は敵に見つかるので、山の中で隠れています。移動するのは夜です。それも人里離れた森の中をひたすら逃げてきたのです。幼い私は必死の思いで両親について歩いていくのですが、よく目を凝らして見ると、森はただ黒いだけではありません。緑や黄色や青や赤など、実に色彩豊かだったんです」
 幼い頃からのこの鋭い感性が、彼の作品の根底にある。ヨーロッパの風景画を見るとセピアトーンの色合いの中に、森は赤、青、黄とさまざまな色が配合されて描かれている。誰にも真似ることのできない繊細で気品あふれる画面である。
 こうした高質で品格のある森本草井の写実絵画にあこがれ、多くの若い画家が森本の画集を携え、作家を目指してきている。
「人物画と風景画は絵画としての基本的な老え方はまったく同じですが、人物は、血が流れて生きているように、風景は大自然を感じさせるようにと思って描きます。風景画が完成したとき、大自然を手中に収めた、この空間は永久に自分だけのものという満足感を伴います。モデルは似ていたり似ていなかったりしますが、それはあまり問題ではありません。絵はイメージの世界ですから、描きながら自分好みの顔に近づいていきます。モデルは神秘のベールの向こう側にいて、彼女についての具体的なことは何ひとつわからないというのが理想です」
 画家の作品の根底に流れているテーマは「生きる喜び」。「生きていてよかった、と思える絵を描きたいと常に思っています」。穏やかで安らかで平和。それが画家の願いである。



人は美しい。生まれて、生きて、消える。
永遠に消えると思うので、かけがえのない大事な時間、存在ですね。
そのことこそが美だ、美しさだと思う。
それを描きたい。僕は絶対絵画をやりたい。

私の場合は風景と人の営みを共存させることが多いのですが、
 例えば海辺の廃船や桟橋などがだんだん朽ちてなくなっていく。
そこに仏数的な「諸行無常」や「生老病死」を感じ、舟を擬人化してみたりするのです。
宗教的な価値観をもって見つめるというのが根底にあります。             

画家の作品の根底に流れているテーマは「生きる喜び」。
「生きていてよかった、と思える絵を描きたいと常に思っています」。
穏やかで安らかで平和。それが画家の願いである。

 どの画家も頭の中では素晴らしいことを考えている。しかし、生まれてくる作品は、どうしてその頭の中の考えを・理想を裏切るものばかりなのだろうか……。もちろん、素人鑑賞者の私の個人的な意見・感想である。

 東京へ戻る電車の中で(足が痛いので座りながら)、窓の外を流れてゆく景色を眺めていた。
 最初は雪に覆われた畑が続いていたが、やがて住宅街・繁華街となり、工場や大きなビルも目立つようになってきた。千葉市の南を通り、東京駅へと急行列車は走り続ける。
 ところで、時間というものは止まらない。
 人間の命も、止まることなく動き続ける、死ぬその瞬間まで。
 しかし、動いていては見えないものもある。ちょうど高速で動き続ける列車の窓から見ている風景を、しっかりと見ることができず、流れるものとしてぼんやりと見ているように。
 日常生活の中、慌ただしく流れてゆく時間と風景の中で、人間は「存在」とか「諸行無常」とか「生きる喜び」について考えることもなく流されてゆく。
 けれども、幾つかの種類の「魔法」というものがあり、その魔法によって、人は流されてゆく時間を止めることができる――その一つが・もっとも手近な一つが、絵画である。

 パリのノートルダム寺院に行ったときのこと。
 日本人の案内人が(20年以上パリに住んでいて、すっかりフランス人的思考を取り入れた男性だった)、ノートルダムの外壁を飾る彫刻群の説明をしてくれた。全部聖書の物語を、文字を読めない庶民が理解できるように絵物語ならぬ「彫刻物語」で説明しているものだった。
 中世のパリの庶民は、ノートルダムの外壁・扉の彫刻を見て、何を思っただろうか?
 聖書の物語やキリストの復活や神の審判による「自分自身の復活」を、そこに見、信じたことだろう。


森本草介の不健康な裸体画 その「スジ」の好事家(その一部は好色家とも重なることだろう)ならいかにも金を払いそうな絵
しかしその「不健康さ」が彼の風景画にも滲み込み「不健康な風景画」になっている

愛と希望
愛も希望もないホキ美の空洞写実画家たち
中世の死(フィリップ・アリエス)
encouragementとしての絵
大聖堂 特殊な空間は特殊な時間を生む その中に入る 絵も特殊な空間と特殊な時間を生む
@@

やがて死んで消え去る人間に意味を教えてくれるのが絵の魔法である。


絵とは麻薬のようなものかもしれない

時間の止まった
絵を見ることにも 禅の修行のようなところがある







愛も覚醒もない愚かな・つまらない日本人画家たちの無駄な写実。



http://de.wikipedia.org/wiki/Caspar_David_Friedrich

作成途中

1月23日 クリーブランド美術館展 東京国立博物館





 1月23日。
 木曜日の最終日。この日は、ホテルから出る。つまり、何冊かの重い図録を詰めたリュックを背負って歩かなくてはならない、痛風に痛む足で。月曜から水曜までは、痛み止めを服用せずに足の痛みを堪えながら歩いていたけれども、重いリュックを持つので……禁断のヤクに手を染める……私の場合は、いつものアレ、ボルタレン坐薬である。12.5mgを1本、早朝、風呂に入った後に使う。

上野駅。
クリーブランド展。
東京国立博物館。
急行の意味。
排気ガスのゲート。
気温マイナス11度の札幌へ。


1月21日 上野の森美術館に遠藤彰子の展覧会を見に行く





 年休を取って東京に来ている。最大の(というか唯一の)目的は、上野の森美術館で開かれている遠藤彰子の展覧会を見ること。
 遠藤彰子の作品が三越で「展示販売」されているので、そちらにも行く。ついでに、三越の隣にある三井記念美術館で応挙の雪松図を見る。この「国宝」を見るのも、今回が最初で最後になるだろう、私の人生の中では。
 その後、渋谷の美術館でシャヴァンヌの展覧会を見て、疲れて、ホテルに戻ってきたところ。

 今朝、ホテルを出て歩いていると、空にヘリコプターが6機(or more)、ゆっくりと飛んでいた。どこかに向かう、というのではなく、街を空から警戒しているといった感じ。何か事件があったのだろうかと思って夕方のニュースを見ると、オウム裁判、のためだったらしい。
 三越で展示販売していた遠藤彰子の作品は、どれもこれもヒドイものだった。ちなみに、30号で262万5千円だった。小さなものでも数十万していた。どれも少女趣味の、俗悪な作品で、呆れた。特に「猫」がヒドイ。犬は、ホルゾイのような精悍(?)で、怪しい魅力をもった犬を描くのに、猫ときたら……中学の美術部の女子生徒でも滅多に描かないような、チェシャキャットを俗悪化したような猫しか描いていない。こうした悪趣味な作品を売った金で、ああした壁画的大作を描く資金にしているのだろうか。
 そういえば、ブンカムラにある画廊(?)で、シャガールのリトグラフが735万円、草間彌生の愚劣な南瓜のリトグラフが231万円で売られていた。こんなものにこれだけの金を出す人間がいる、ということに驚く。






遠藤彰子の堕落、あるいは、崩壊

 何かの本で、ルノワールの駄作を日本人たちに買わせた・あるいは、日本人たちが喜んで「駄作」を高値で買っていった、というのを読んだことがある。フランス人かイギリス人の書いた本だったと思う。……なるほど、と、日本人の私は納得した。日本人は「名前で」芸術作品を買う。どんなにつまらない作品でも、ルノワールの名が付けば、モネの名が付けば、ピカソの名が付けば(以下略)、途方もない高値で買ってしまう。そしてどんなにつまらない作品であろうと、美術館を訪れた鑑賞者は、
「これがルノワールの絵だ……本物だ……私は今本物のルノワールを見ている……これって凄くねェ?」
 ということになる。
 どこかの美術館に飾られているゴッホのヒマワリが、本物であれニセモノであれ、関係ない。ゴッホについて権威あるその筋が「真作」だと保証しているのなら、もうそれでホンモノなのであり、論争は不要なのである。……でも、あれはニセモノだと私は思うけれど。
 ルノワールは慢性関節リウマチによってボロボロになっていった。絵筆をガーゼで手に縛り付けて描いたが、もちろん、繊細な表現は不可能となった。大胆に簡略化した絵で素晴らしいものも確かに残しはしたが、残念ながら「殴り描き・癇癪発作」のような絵もあった。西洋人の間では売り物にならない(少なくとも高値では売れない)そうしたゴミ箱絵を、日本人はありがたく押し頂いて高値で買っていった。
 モネも白内障で、晩年の絵はどうしようもないものが少なくない。それでも、日本人は……(以下略)。


 日本の美術館や展覧会を歩いて見て回って、本当に感動したのは、以下の3作品以外には思いつかない。


牧島如鳩 魚籃観音像

遠藤彰子 遠い日(新潟市立美術館)
フリーダ・カーロ 名古屋市立美術館

 新潟には何度も行っている。フェリーを使うので、少なくとも20泊ぐらいはしている。そして、何度か同じ絵を見に、市立美術館の駐車場に車を駐めている。遠藤彰子の、「遠い日」を見るためである。

 この作品を初めて見た時は、口をあんぐり開けて、立ち尽くしたものである。

 あり得ない街の風景。夕陽。高架の道が縦横に走り、それはどんどんと地下まで続いている。子供とも大人とも判別できない、不安と無関心が入り混じった呆然とした人間たちが、夕陽の中の交錯する高架の街で立ち尽くしている。
 人間存在の不安定さ、を、見事に映し出している絵だ。
 キリコよりも素晴らしい。特に、空間の上下を描きだすことで、不安感は一層明らかになる。この空間の上下を、後に遠藤彰子は、流線形の(高架の直線ではなく)「空間上下破壊」によって、さらに見る者に眩暈を感じさせることに成功している。
 D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
 という言葉を想い起こさせる――というか、私はゴーギャンのあの作品よりも、日本人として、遠藤彰子の作品に愛着を持った。
 キリコ、ゴーギャンまで出したのだから、もう一人、贔屓の引き倒しということではなく、超一流の西洋画家を登場させよう――ミケランジェロ、最後の審判、である。
 私は勿論キリスト教徒ではないので、あの聖書の物語を巨大な天井画として見ても、信仰者の持つ(であろう)ような感動とは無関係である。
 ラファエロやダビンチやミケランジェロが描いた「宗教画」全てについても言えることだが、聖書を全く信じない(物語としては面白いけれども)私には、キリスト教徒が受ける(であろう)ような特別な思い、というものは無い。
 しかし、遠藤彰子の多くの大作は、キリスト教などの宗教色を排したうえでの、人間存在の不安を見事に描いている。そこには、神が与えてくれる秩序・道理もなければ、キリストが約束する救済も無い。存在の不安に投げ出されてしまって、呆然とした・虚ろな表情の人間たちがいるばかりである。

 人間が審判されるという意味での、地獄絵。


 よくもまぁ、こんなクダラナイ・タコを描けたものだと、呆れた。

牧島 イコン まっすぐに見つめてくる女性











2013年の工場・災害・原子力発電所?

2012年の骸骨
2011年のタコ
2010年の蜘蛛

「遠藤彰子展」上野の森美術館 すさまじい迫力の前で
2014.1.23 09:05 産経新聞
 現代の洋画家を代表する遠藤彰子(あきこ)の過去から現在までの73点の油彩を中心に、立体や水彩などを集めた大規模な展覧会が東京の上野の森美術館(上野公園内)で開かれている。
 遠藤の絵画は、見る者を迷宮に誘い込む。ギリシャ神殿のような太い列柱がそびえる大理石風の建物もあれば、コンクリートの現代的な建物もある。そこを貫く道は行く当てもない堂々巡り。無数の人々が歩き、集い、遊ぶ。苦悩の表情を浮かべる人もいれば笑顔の人もいる。
 建物の上に広がる青空は、別の視点から見ると、落ちてしまうような池にも見える。いくつもの境界が交差し、一寸先は天国であり地獄でもある。画面にしばしば登場する自転車は、境界を自由に超えていくツールなのだろうか。
 遠藤は昭和22年、東京生まれ。武蔵野美術短期大学卒。61年には新人洋画家の登竜門的存在だった「安井賞」を受賞し、現在は洋画の第一人者として活躍している。
 それにしても縦横が3、4メートルを超える大作が並ぶ展示からは、画家のすさまじい迫力を感じさせる。画家はキャンバスに立ち向かうように絵の具を執拗(しつよう)に塗り込めていく。近作「四季」シリーズ4点は、横が5メートルほどもあり圧巻だ。どこにパワーが隠されているのだろうか。               ◇
 「魂の深淵をひらく-遠藤彰子展」は28日まで(会期中無休)、一般600円。問い合わせは(電)03・3833・4191。

@
モネは目が悪くなった、ルノワールは関節が破壊された、遠藤彰子は頭が破壊された、としか私には思えなかった。
作成途中

2014年2月6日木曜日

村上春樹はずっと昔から田舎を差別するイモ男でした



村上春樹氏:小説に「屈辱的表現」 町議ら文春に質問状へ

毎日新聞 2014年02月05日 09時00分(最終更新 02月05日 17時11分)
 ◇「中頓別町ではたばこのポイ捨てが普通のこと」
 作家の村上春樹氏が月刊誌「文芸春秋」の昨年12月号に発表した短編小説で、北海道中頓別(なかとんべつ)町ではたばこのポイ捨てが「普通のこと」と表現したのは事実に反するとして、同町議らが文芸春秋に真意を尋ねる質問状を近く送ることを決めた。町議は「町にとって屈辱的な内容。見過ごせない」と話している。
 この小説は「ドライブ・マイ・カー」。俳優の主人公が、専属運転手で中頓別町出身の24歳の女性「渡利みさき」と亡くなった妻の思い出などを車中で語り合う。みさきは同町について「一年の半分近く道路は凍結しています」と紹介。みさきが火のついたたばこを運転席の窓から捨てた際、主人公の感想として「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」との記載がある。
 町議有志は「町の9割が森林で防火意識が高く、車からのたばこのポイ捨てが『普通』というのはありえない」などとしている。宮崎泰宗(やすひろ)町議(30)は「村上氏の小説は世界中にファンがおり、誤解を与える可能性がある。回答が得られなければ町議会に何らかの決議案を提出したい」と話す。
 村上氏の小説では、「羊をめぐる冒険」で中頓別町に近い美深町がモデルとされる「十二滝町」が舞台となったほか、「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」などでも札幌や旭川といった北海道の街が繰り返し登場する。村上氏はエッセーで湧別町、佐呂間町などで開かれたマラソン大会への出場を明かしており、道北・道東地方に土地勘があるとみられる。
 文芸春秋編集部は毎日新聞の取材に「質問状が届いておりませんので、回答いたしかねます」としている。【伊藤直孝】
 ◇中頓別町
 北海道旭川市の北約130キロ、南宗谷地方にある人口約1900人の山間の町。明治期は砂金の採取で栄えた。人口はピークの1950年には約7600人だったが、林業の衰退やJR天北線の廃止(89年)などで急速に過疎化が進んでいる。


村上春樹さん小説:たばこポイ捨て、ツイッターで賛否議論

毎日新聞 2014年02月06日 06時30分
 作家の村上春樹氏の短編小説で、北海道中頓別(なかとんべつ)町に関し事実に反する表現があるとして、町議らが出版社に質問状を近く送ることを毎日新聞が報じた5日、短文投稿サイト「ツイッター」上では記事が700件以上引用され、賛否両論の議論が交わされた。
 ツイッター上では「小説の作り話なのに」「これくらいで屈辱的はないだろう」といった批判が大勢を占めたが、「村上氏らしからぬ軽率表現」「いったんマイナスイメージを植え付けられたら危うい」と町議側を擁護する声もあった。また「(町は)逆手にとったプロモーションをすればいいのに」という意見もあった。
 一方、町には電話で6件の意見があり、うち5件は「文化的な作品への抗議は恥ずかしい」「町の売名行為では」といった批判だった。町議会事務局の担当者は「質問状の動きは町議有志の話で、現段階で町や町議会として見解を示す予定はない」としている。
 短編小説は月刊誌「文芸春秋」の昨年12月号に掲載され、たばこのポイ捨てが中頓別町では「普通にやっていることなのだろう」と表現された。【伊藤直孝】



村上春樹氏小説に「不適切表現」、質問状提出へ

 作家の村上春樹氏が月刊誌「文芸春秋」の2013年12月号に発表した短編小説「ドライブ・マイ・カー」に不適切な表現があるとして、北海道中頓別町の町議6人が出版元の文芸春秋に対し、質問状を近く提出することを決めた。
 問題とされたのは、同町出身で東京で仕事をする24歳の女性ドライバーが、火のついたたばこを車の窓から外へ捨てる場面。それを見た主人公の感想を「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と描写している。
 町議らは「中頓別町は地域の9割が森林と牧草地で、住民の防火意識は高く、たばこの投げ捨てを普通にやることはあり得ない。小説に表現の自由があるとしても、この過ちを見過ごすことはできない」などとして出版社に対応を求めている。
 文芸春秋編集部は「質問状が届いていないので、今の段階では何も答えられない」としている。
(2014年2月6日12時12分  読売新聞)

中頓別では人は火のついたタバコを車からポイ捨てにする
旭川で人は恋なんかできない
トルコの田舎町は小便をかけてやったほうがきれいになる
これが村上春樹が「作品の中で」語っていること
このイモ男は、昔から、「田舎はとんでもないところ」「田舎に住む連中は劣っている」という考えを持っている根っからの差別主義者なのである。そうした考えを常に持っているから、中頓別の人々を蔑む表現をしても、それを恥ずかしいこととも思えない、鈍感なイモ男なのである。



作製途中



2004年8月2日

講談社と村上春樹・ついでに大江健三郎 その1

 先日の日記で、中山参与を中傷する講談社(週刊現代)の陰湿さについて書いた。講談社が全くの馬鹿出版社であることは、週刊現代で今井紀明・高遠菜穂子擁護一本槍の記事を連載した時に強く感じたものだったが、最近の誌面を見ていても、岩波書店並みの下劣さを観察することができる。

 いつだったか、『噂の真相』の一行記事で、講談社社長・野間佐和子と田中真紀子は小学校の同級生で、今でも時々会うほど親密なのだという。田中真紀子といえば中国利権と日本人拉致無視の政治家である。講談社がヨイショするのは加藤紘一、野中広務などなど。
 そして、村上春樹の全集を出しているのも、この講談社なのであった。
 以下は、9年前に私が自分の日記に書きとめたものである。


『 村上春樹について(95年5月


 79年『風の歌を聴け』

 80年『1973年のピンボール』
 82年『羊をめぐる冒険』
 83年『カンガルー日和』(まともなのは『鏡』と『五月の海岸線』だけで、残りは屑ばかり)
 85年『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(長大な屑)
 87年『ノルウェイの森』
 88年『ダンス・ダンス・ダンス』
 90年『遠い太鼓』『雨天炎天』
 91年『村上春樹ブック』(文学界増刊号)

 私の1995年のゴールデン・ウイークは村上春樹ウイークだった。上に挙げた本を殆ど全て読んだ。《殆ど》というのは、さすがに『世界―』は途中で放棄した。これだけが単行本で買っていて、後のものは文学界の増刊号以外は全て文庫本。『風の―』と『ノル―』を読むのはこれで二回目だった。

 『世界―』は我慢しながら最初の五〇ページを読んだ。どうにもつまらない作品で読むのが苦痛であり、そこで諦めた。経験上確かなことなのだが、最初の五〇ページ読んで救い難く退屈な本は、五〇〇ページを読んでみても同じことだ。彼の場合だけは違うだろうかとちょっと不安になり、文学界増刊号でこの作品の粗筋を読んでみたが、やはり最後まで僕が興味の持てるような作品ではなかったようだ。

 去年、市中病院を辞めるとき、担当していた悪性リンパ種の患者・ Hさんのベッドテーブルの上に『ダンス―』を見つけた。北大の教養の二年生で、将来は西洋史学科に進みたいと言っていた女の子だった。村上春樹を会話の糸口にして何か話そうとしたけれど、それまで私が読んだのは『風―』と『ノル―』だけであり、どちらも殆ど記憶に残らない作品だったので、それも不可能だった。それでも、暇を見てこの著者の作品を読んでおこうと思い、上記の作品の文庫本を買っておいたのだった。しかし、忙しくて読めず、私が病院を辞めて二三ヵ月後には彼女も死亡してしまった。

 ゴールデン・ウイークには、一人の作家の作品を読んでみようと以前から決めていた。今年はジュリアン・グリーン(著作集全十巻を持っている)にしようかとも迷ったが、結局、Hさんのことが思い浮かんできたので村上春樹ウイークにしたのだった。

 『遠い太鼓』は彼を理解するのにとても役に立つ作品だと思う。

 ギリシャで嵐に遭い、水がドアの下から浸水してくる家の中で村上は書く。(P一五〇)『僕はありったけの雑巾と新聞紙をドアの下につっこんでなんとか浸水をふせいだ。そんなことをしながら、なんで人は戦争なんかしなくちゃならないんだろう、とふと思った。嵐だの洪水だの地震だの噴火だの津波だの飢饉だの癌だの痔だの累進課税だの神経痛だのとこれだけ多くの災難が人生に充ちているというのに、どうしてその上戦争まで起さなくちゃならんのだ? と。』
 ギリシャとトルコの国境紛争で死亡した兵士に触れて彼は書く。(P三三七)『死ぬのはいつも若者なのだ。彼らはまだ何が何だかよくわからないうちにそんな風にして死んでいく。僕はもう若くはない。そしていろんな国のいろんな町を旅した。いろんな人間に会った。いろんな楽しい思いもしたし、いろんな嫌な目にもあった。そしてこう思う。たとえどのような理由があるにせよ、人と人とが殺しあうというのはやはり馬鹿げていると。』
 人と人とが殺しあうというのはやはり馬鹿げている―あたりまえのことだが、こなんふうに表現するのが小学生や中学生だというのならまだ理解できる。しかし、四十歳近い大人が真面目に口にするとこちらが赤面してしまう。この程度のところで思考が止まってしまうくらい、この作者は社会について何も考えていなかったのか、と。これでは半ズボンをはいた小学生か中学生並ではないかと。

 一九八九年の天安門事件に触れて村上春樹は書いている。(P四五六)

『北京の記事は本当に読めば読むほど気が滅入ってきた。それはどこにも救いのない話だった。もし僕が二十歳で、学生で北京にいたとしたら、僕だってやはりその場所にいたかもしれない。僕はそういう状況を想像してみる。そしてこちらに向かって飛んでくる自動小銃の弾丸を想像する。それが僕の肉に食い込み、骨を砕く感触を想像する。その空気を裂くひゅうっという音を想像する。そしてゆっくりと訪れる暗闇を想像する。』

 どんな想像をするのも自由だが、この文章は私を笑わせてくれる。こんな仮定法はあまり意味のないことだが、もし、全能の神の御力で、村上春樹が彼の意識を保ったまま中国人として《二十歳で、学生で北京にいたとし》よう。それでも、私は自信を持ってこう断言することができる―村上春樹は決して天安門には姿を見せなかっただろう、図書館で本のページをめくっているか、騒然たる北京を逃れて浜辺にでも繰り出して泳いでいたかもしれないが、何をしていたにせよ、あの広場にだけは行かないのは確かだ、と。七〇年安保や学生運動にあれだけ《意識》のない男が―そして今になっても戦争や国家について、半ズボン少年のような考えしかできない男が、《その場所にいたかもしれない》と書けること自体が、彼の自覚の無さを示してくれている。


 村上春樹のこの《無自覚》こそが彼の強みなのであり、この強みが無かったならば彼にはああした小説の多くは書けない。普通の人間なら立ち止まって嘆いたり悲しんだり不思議に思ったりする地点を、村上春樹は何も意識することなく通り過ぎてしまう。そしてあくまでも自分の関心のある光景しか目に入らないし、自分の関心のある音しか耳に入らない。路傍に倒れている人々の姿を見ることができないし、彼らの呻きも聴くこともできない。アトス半島とトルコを回って、この程度の旅行記しか書けないのかと驚かされる『雨天炎天』は、村上春樹が《特殊な眼と耳しか持っていない》ということを考慮すれば納得できる。


 村上春樹が理解できないのは戦争や国家だけではない、宗教についても何も見聞きできない、彼にはそれへのレセプターが欠如している。だからこそ、ギリシャ正教の聖地・アトス半島に行っても彼には歩行と食物の話しかできない。


『朝目を覚ますと、まずキッチンに行ってやかんに水を入れ、電気ヒーターのスイッチをオンにする。コーヒーを作るためだ。そして湯が沸くのを待ちながら僕はこう祈る。「お願いだから、僕をもう少し生かしておいてください。僕にはもう少し時間が必要なのです」と。でも―そうなのだ―僕はいったい誰にむかって祈ればいいのだろう? 神に向かって祈るには、僕はこれまで人生においてあまりにも身勝手に振る舞ってきた。運命に向かって祈るには、僕はあまりにも自らを頼りすぎていた。まあいいさ。誰に祈っているにせよ、ずっと祈っていればそのうちにそのどこかの誰かにうまく通じるかもしれない。いつかどこかの宇宙人にキャッチされることを期待して、山の上からいろんな方向に手あたり次第にメッセージの電波を送りつづけている科学者みたいに。いずれにせよ僕としては、祈るくらいしか手がないのだ。この不確かで暴力的で不完全な世界に生息する我々のまわりには、実にいろんな形状の死が満ち満ちているのだから。』(遠い太鼓・P二四一~)


 村上春樹は幸福な人なのだと思う―《祈り》について、これほど脳天気なことを書ける人生を送ってきたのだ。身悶えするような苦悩に縛られて、祈ること以外には何もできないといった状況を経験したことがないから、信仰に関することでも《半ズボン少年》的なことを口にできる。

 村上春樹がフラナリー・オコナーを読んでいるなんてのは笑い話だろう。深海の鮟鱇が航空力学を勉強していると嘯くようなものだ。まるで服か車のブランド名のように使われているカント(『一九七三年のピンボール』の主人公が《読んでいる》という)についても、村上の無自覚と無知を示している。彼はカントがどうして『純粋理性批判』を書かなくてはならなかった、カントの苦しみについて何ひとつとして知らないだろう。オコナーやカントをつまらないオールテイズと同様に扱っているのは、信仰について、それを真面目に考えてみるレセプターの欠如している村上春樹の強みである。

 『羊を―』には怪物右翼に仕える番頭が(黒服の男)、マルクスについて語る場面もあるが、これも景気のいいハッタリに過ぎないし、それは村上春樹の嫌う《教条主義的馬鹿の一つ覚え的革命言語》と何ら変わるところはない。凡そ宗教にも社会にも無自覚な村上春樹がトロツキーやマルクスをその小説に散りばめているのも(それも服のブランド名や花瓶に挿した花の名前のように軽いノリで)、これも彼の特殊な《劣等感》から来ているものなのだろう。ツルゲーネフ風に言えば、彼はネジダーエフ(社会の余計者)なのであり、同世代の多くの学生達が熱狂した《ダンス》の中に入っては行けなかったのだから。


 宗教にも社会にも―つまり、他人の存在や行動に興味がない者にも、唯一興味がないでは済まされないものがある。それはやがて確実に訪れるであろう《自分の死》だ。『風の―』以来、一貫して村上春樹のし続けている作業は、この世界には殆ど興味は持てないものの―彼の目には、1995年の世界も15億年後の世界も同じように映っているだろう、つまらない砂漠として―自分がこの世界から消滅してしまうことだけは切実な問題として存在し、それに対処する方法が物語りを書くことなのである。

(『ダンス―』上巻P一八一)『僕と彼女の間には何かしら心が相通じるところがあるように感じる。そしてもし彼女と寝たいと思えば寝られるだろうという気がする。でもそれでどうなるだろう、そこから何処に行けるだろう、と僕は思った。何処にも行けないだろう。たぶん僕がもっと失われるだけのことだろう。何故なら僕には自分が何を求めているかが把握できていないからだ。そして自分が何を求めているのか把握できていない限り、別れた妻が言うように、僕はいろんな相手を傷つけていくことになるだろう。』


 《何を求めているか解らない》僕―そして意味もなく自分が死んでしまうことをあれこれと《考えることもある》僕の物語り、それが村上春樹の小説である。

(『ダンス―』下巻P一八九)『我々はどちらも三十四歳で、それは十三歳とはまた違った意味でとても難しい年齢だった。二人とも年をとるということの本当の意味を少しずつ認識しはじめていた。そして我々にはそれに対してなにがしかのものを準備しはじめなくてはならない時期にさしかかっていた。来るべき冬のあいだに体を温めてくれそうなものを確保しておくのだ。彼はそれを簡潔な言葉で表現した。
「愛」と彼は言った。「僕に必要なものはそれなんだ」
「感動的だ」と僕は言った。でも僕にだってやはりそれは必要だった。』
 愛を必要としている五反田君は、しかし、後になってこう言う。
(下巻P三〇〇)『五反田君はテーブルの上で五十センチほどの幅に両手を広げた。「何処に意味なんてある? 我々の生きることの意味がいったいどこにある?」そして笑った。「でもいいよ、別に。それはもうどうでもいいんだ。諦めてる。』
 してみると、「愛」は時間をやり過ごすための《防寒具》としての役目はあるものの、生きる目的にも意味にもならないらしい。
 五反田君はコールガール二人を殺し、自分も自殺する。
 そして主人公の僕は《ユミヨシ》さんとの愛という《現実にふみとどまる》決心をしてこの物語りは終わっている。
『ノル―』でもそうだったが、《死と愛》の深い森の中に迷い込み、どうどうめぐりを繰り返すという物語りは、処女作以来一貫して変化していない―もっとはっきり言えば、進歩していない。死と愛、あるいは虚無とその救い―その二つしか描かれない世界を、グルグルと回り続けている。
 自分に同情している、小綺麗にパッケージされたセンチメンタリズム。


 最後に、村上春樹の救い難い高慢さについて。


(『ノル―』下巻P259)

『「でも人は旭川で恋なんてするものなのかしら?」』

(『雨天炎天』P159)

『この街道沿いの町が、また見ているだけで気の滅入るような町である。(中略)チャイハネの主人に便所はどこかと訊くと、そんなものはないと言われた。たぶん外で小便するのだろう。まあ、小便でもかけた方が綺麗になりそうな町ではあったけれど。

 北の田舎(旭川)は恋には似合わないし、小便をかけた方が綺麗になる町もあると平然と《書いてしまう》神経が信じられない。《考えてもいいこと》と《書いてもいいこと(出版してもいいこと)》は別のものであるということを、村上春樹は知らないのだろうか。礼儀知らずのこうした無神経さは、ヴォネガットには全く無縁のものだし、フィツジェラルドが好んでいるものとも思えない。

 愛は負けても親切は勝つ―このヴォネガットの言葉をどこかで村上春樹も引用していたが、《他人に殆ど全く無関心》な男がどうして他人に親切になれるというのだろうか。これにも笑わされるだけである。(終わり)』


 やれやれ……。村上春樹は堂々と、「でも人は旭川で恋なんてするものなのかしら?」などと書いている。もちろん、これが小説の中の登場人物の言葉ではあるとはいえ、そこから見える村上春樹の頭の中は、度し難い差別主義者でしかない。

 田舎の人間には恋愛などできないと思っているのだろう。オシャレなレストランや、有名な大学、毎晩どこかでやっている演劇・演奏会・パーティー……そういったものが無い田舎では、人は愛を得ることはできない、と本気で村上春樹は思っているのだろう。
 これは何も田舎に住む人間に対する侮蔑だけではない。職業、地位、身分、家柄、その他もろもろの分野で、「でも人は●●であっても恋なんてするものなのかしら?」と村上春樹は人を見下して考えていることだろう。
 旅行をしながら、その土地について、小便でも掛けたほうが奇麗になりそうだ、と吐き捨てる村上春樹は、私の『豊富な語彙』の中から彼にふさわしい言葉を選べば、『下衆野郎』である。

 このイモ頭作家が、将来ノーベル文学賞を取るために、着実に運動をしているのだという。大江健三郎のようにつまらない小説を書いている人物でもノーベル文学賞を貰ったのだから、村上春樹にもそれを手に入れる権利は十分にある。

 以下は、噂の真相1998年7月別冊からの引用である。(P234)

『村上春樹

(中略)
 ところが90年代に入ると、安眠を貪る春樹に「現実」が待ち受けていた。
 湾岸戦争とオウム真理教事件である。
 まず湾岸戦争によって、当時、アメリカに移住していた春樹の元に、多くの文学者やマスコミが湾岸戦争と日本の役割について質問した。「ボクは関係ない」。ナイーブな彼は大好きなアメリカで、その一言を口にできなかった。彼に言えたのは、これだけである。
「父親との関係で中国には複雑な思いがあって、だから絶対に中華料理は口にしないんです」
 追い詰められていった彼の姿をよく表しているのが、アメリカ時代に書いた長編小説『ねじまき鳥クロニクル』だ。現実の湾岸戦争という「暴力」が強い影響となって現れた結果、彼はその「暴力」に恐怖し、逃げてしまう。不必要なまでに長編になったのは、彼の精神的「逃走」が原因であり、ノモンハン事件まで溯り、何とか折り合いをつけようとしたが無残にも失敗。最後は暴力には暴力で対抗するしかない、という安易で短絡的な「マッチョ」な解決を選んでしまう。(中略)
(地下鉄サリン事件を扱った『アンダーグラウンド』は)文芸評論家久居つばきが指摘したように、ノンフィクションとは名ばかりで、最初から春樹にとって都合のいい世界しか対象にしないのは、当然のことなのだ。
 事実、「被害者の投書を女性誌でたまたま読んだのが動機」という要の部分からして大嘘で、被害者数もデタラメ。被害者を単に「可哀相」と同情するに終始し、肝心の被害者に何ら対応しなかった政府の無策や、マスコミ報道の問題など一切触れず、最後は「危機管理をしっかりすべし」といった凡庸で安易な結末で締めくくる。
「春樹がノーベル賞を狙っているいい証拠だよ。春樹の出版社は講談社と新潮社だが、松本サリン事件で虚偽報道をした新潮社と講談社で出版すること自体、神経を疑う。きっと海外出版ルートがあるから選んだのだろうが、やることがあざとい」(ある出版プロデューサー)
 だが、こうした声は春樹に届くことはない。彼は「自分の世界を守る」ためのもう一つの防壁を用意したからだ。
 妻の陽子である。海外移住時代、春樹のマネージャーとなった陽子夫人は、次第に外部の情報をシャットアウトする役割を果たすようになった。
「陽子夫人は、今や完全な女帝。編集者など自分の小間使い扱いで、記事はチェックしてクレームを入れるわ、やりたい放題。文壇のドン・丸谷才一への接近や社会的発言も夫の地位と名誉を願う夫人のバックアップのゆえ。二人を見ていると、お受験に勤しむ子どもと教育ママみたいだ」(編集者)(後略)』

 さらに、噂の真相97年6月号には以下のような記事もある。(P33)

『だが、この『アンダーグラウンド』、世で絶賛されるほど、本当にたいした「作品」なのだろうか?
 発行元である講談社の用意したリサーチャー2人が、被害者の捜索、取材のアポ入れ、セッティングをすべて行い、テープ起こしは専門会社、あらゆる手続きは編集者が担当する。村上が行ったのはスケジュールに沿ってインタビューしただけだ。
 いや、逆に村上の「誰も傷つけたくない」というナイーブな「優しき心」によって、インタビュー対象者は自発的に喋ってもいいという人物に限定。仮名と実名があやふやにされ、問題の核心に迫る肝心の部分さえも本人の希望で削除。あえて裏取りをせず、証言能力自体をカモフラージュする。
 さらにいえば、問題の核心部分であるオウムが狙った霞ヶ関の官僚被害者に対しては「なかなか出てくれなかった。守秘義務があるみたい」と、まるで他人事のように諦め、インタビューで明らかになった警察や消防庁トップの対応の遅れ、事後処理の問題も、被害者の弁護士に指摘させ、本人は「僕もそう思う」的に相槌を打つのみ。決して問題提起や対決姿勢を打ち出そうとはしていない。』
 つまり、村上春樹は「らしくないテーマの本をいやいや書いた」ということなのだと思う。そこには首に綱を付けられて曳かれてゆくボーッとした牛のような村上春樹の姿が見える。なぜ、いやいやこんな本を書いたのか? 記事には次のようにある。
 つまり、「地下鉄サリン事件のような世界が注目する事件に関するノンフィクションでも書けば、ノーベル賞が狙えるよと、周りのアメリカ人に尻を叩かれたみたいだ」と。
『ある編集者も村上の「ノーベル賞」は、決して絵空事ではないと断言する。
「実はノーベル賞は、非常に政治的な要素が強くて、いい作家、作品の評価だけでなく、文学の振興のため意図的に民族ごとに割り振って受賞させる風潮がある。アジアでは、川端康成、インドの詩人R・タゴール、大江健三郎と、大体15年に一度受賞者が出ている。21世紀の次のアジア枠ノーベル賞最有力候補は、間違いなく村上春樹なんですよ」
 そこで受賞を確実にするには、欧米の評論家から支持される必要がある。
「彼らが評価するのは、作品よりも文学者としての義務と責任を果たしているかどうかなのです。大江の受賞の決め手が、原爆問題を取り上げた『ヒロシマ・ノート』や、知的障害者の息子との交流だったように、村上が受賞を決めるには、社会に対して何をしたかに掛かっている」(前出・編集者)』

 というわけで、社会とはかかわりたくないはずだった村上春樹は、ノーベル賞を取るためには社会的大事件をテーマに仕事をしなくてはならなかった。そこに、講談社の利害が一致した。将来のノーベル賞候補を囲んでおけば、出版社として計り知れないほどの名誉と利益を得ることができる。とういことで、講談社が全てをお膳立てして、被害者のもとに村上春樹を引っ張っていった。「旭川で人は恋なんかできない」とか「こんな田舎街、小便をかけてやったほうがきれいなるぜ」と考えている下衆野郎・村上春樹も、そこは文筆家であり、それなりに文章をまとめた。その作品が、『アンダーグラウンド』であり、あとは講談社お抱えの「文芸評論家」に激賞させれば、ものごとは上手くゆく――上手くゆくのである、この日本という国では。

 大江健三郎がノーベル賞を取ったとき、私はこの賞が実にくだらないものだと知らされた。大江健三郎の作品もつまらないが、この男の人間性も作品に負けず劣らず下らない。
 たった一つのことでそれを証明できる。
 この男が、拉致された横田めぐみについて、口を開いたことがあるだろうか?
 拉致応援組織・岩波書店とグルになって、日本国民を騙し続けてきたのはこの男ではないのか。土井たか子の下劣さは十分に日本人に理解されているというのに、大江健三郎の下劣さを理解しようとしない日本人は……愚かしい、としか表現のしようがない。

 大江健三郎と岩波書店。

 その新しいタイプが、
 村上春樹と講談社、
 なのである。
 そしてこの新旧二つのタイプに共通しているものは、
 吐き気をもよおす偽善、
 である。

2014年2月3日月曜日

ながら携帯で町長が転落死 お笑い敦賀市長

山口憲造・むかわ町長死亡…階段から転落
 31日午前0時半頃、北海道むかわ町末広2の飲食店ビルで、山口憲造むかわ町長(65)(むかわ町福住)が階段から転落した。山口町長は頭を強く打ち、病院に搬送されたが、同日午前5時45分頃、死亡が確認された。死因は急性硬膜下血腫だった。
 道警苫小牧署の発表によると、山口町長はビル2階の飲食店で知人数人と飲食後、帰宅のため階段で1階に下りていた。転落直前、携帯電話を操作しているのを、知人が目撃していることから、同署は携帯電話の操作に気を取られ、誤って階段を踏み外した可能性もあるとみて調べている。
 山口町長は、旧鵡川町建設課長などを経て1999年4月、当時の鵡川町長に初当選。2期目途中の2006年4月、穂別町と合併してむかわ町が誕生すると、同町長選に出馬して無投票で初当選し、10年4月も無投票で再選を果たした。昨年12月、本紙の取材に4月の町長選に出馬しない意向を表明していた。
(2014年1月31日  読売新聞)

▲:むかわ町から苫小牧まで34km。0時半に事故が起きて、死亡が確認されたのが5時45分、5時間後、というのは少し長いようにも思うけれど、手術できたのかどうかも不明。

 テレビニュースでは、苫小牧に運ばれて、その病院で死亡が確認されたと伝えていた。
 むかわ町に救急医療をする病院があっただろうか? 厚生病院も夜間救急をしていなかったと思う。それとも、個人病院が引き受けたのだろうか? すぐに苫小牧に搬送する措置が取られたのだろうか? そうした判断を誰ができただろうか? そもそも、「町外への救急搬送」には、町内の医者の判断が必要とされるのが一般的だが……。
 むかわ町の個人病院に、大昔、手伝いに行ったことが2度ほどある。あそこで脳外科適応の疾患が出た場合、即座に苫小牧の専門病院に搬送するしかない。34㎞という距離は短いように思うかもしれないが、冬の雪道で真夜中に救急車が苫小牧の病院に辿り着くまで、高速を利用したとしても、あれこれと手間を考えれば、40分、下手をすれば1時間はかかる。
 田舎暮らしというのは、こういった危険性がある。心筋梗塞、脳出血、急性腹症……時間と勝負の病気に対して、田舎の医療は、もちろん、対応できない。
 苫小牧で倒れたら、10分後には脳外科医に診てもらえていたかもしれない。
 いずれにせよ、硬膜下血腫は予後が極めて悪い。結果は同じだったかもしれない。

 いずれにせよ、階段を携帯を操作しながら降りる、なんてことは、極めて危険なことであるということ。若者だけでなく、老人も「ながらスマホ」で歩いているのは珍しくなくなった。転倒すれば、こうして頭を強打して、死ぬかもしれないということを肝に銘じるべき。



PS 田舎の医療とは関係ないけれども、これが田舎の異常な精神風土。

「脱原発」議員の利用を拒否 福井・敦賀のタクシー会社
2014.1.15 11:47 [原発] 産経新聞
 日本原子力発電敦賀原発などが立地する福井県敦賀市のタクシー会社が、自民党の秋本真利衆院議員(千葉9区)から配車予約を受けた際、「秋本氏が脱原発を主張している」との理由で利用を拒否していたことが15日、分かった。タクシー会社は取材に「配車予約を断ったのは社員個人の判断」と説明。既に秋本議員側に謝罪したという。
 国土交通省中部運輸局(名古屋市)は会社に再発防止を求めた。
 タクシー会社によると、7日午前に秋本議員の秘書から電話があり、20日に原発関連施設を視察するため大型タクシーの配車を依頼された。だが対応した男性社員が、秋本議員が脱原発を訴えていることをホームページで知り、秋本議員の事務所に電話で「原発関連の利用者が多く、脱原発を訴えている人への配車は難しい」などと依頼を断ったという。

敦賀市長、脱原発議員乗車拒否のタクシー会社を擁護

2014.2.3 18:33 産経新聞
 福井県敦賀市のタクシー会社が、脱原発を主張する自民党の秋本真利衆院議員(千葉9区)からの配車予約を拒否した問題で、敦賀市の河瀬一治市長は3日の記者会見で「商売だからと何でもするのではなく、ポリシーを持って対応したのだと思う」と述べ、タクシー会社の対応を擁護した。
 高速増殖炉もんじゅの反対集会参加者への配車も「断っているのではないか」と指摘した上で、「こういう話題になることは町にとってマイナスだ。上手に断ってほしい」とタクシー会社に“注文”も付けた。
 秋本氏は1月20日に敦賀市の原発関連施設の視察を予定。秘書が大型タクシーの配車予約をしたところ、タクシー会社の担当者が「脱原発を訴えている人への配車は難しい」と拒否した。国土交通省中部運輸局(名古屋市)は会社に再発防止を求めている。
▲:そのうち、親が原発反対である子供は、市立の小学校中学校での教育を拒否する、とでも、この××市長なら言い出しかねないと不安に思うのは私だけではないだろう。田舎の暗黒世界を学ぶに十分な材料を提供してくれるであろう敦賀市という不思議な空間。






2014年2月1日土曜日

内閣府職員 国際会議先の韓国で変死

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140201-00000006-asahi-soci
内閣府職員が変死、ゴムボートで漂流 韓国で消息絶つ
朝日新聞デジタル 2月1日(土)5時39分配信
 北九州市若松区沖の響灘で、漂流していたゴムボートに乗っていたとみられる内閣府の男性職員(30)が遺体で見つかっていたことが31日、第7管区海上保安本部(同市)への取材でわかった。内閣府などによると、男性は1月に国際会議に出席するため韓国・ソウルに向かった後、消息を絶っていた。7管は事件の可能性も視野に調べている。

 7管によると、18日午前9時45分ごろ、同区響町の約500メートル沖で、「ゴムボートが漂流し、中に人が倒れているようだ」と118番通報があり、巡視艇が約30分後にボートの中で倒れている人影を確認。ボートは荒波で転覆したため捜索していたところ、20日朝に防波堤直下の海中で男性の遺体が見つかった。死因は「調査中」としている。


 7管は職員を発見した当時、男性が黒色のジャンパーと黒のズボン姿だったとしていた。31日の取材では詳細を明らかにしなかった。


朝日新聞社



▲:これがトップニュースとして大々的に取り上げられていないことで、日本のマスコミがいか絶望的ににコリアン勢力によって支配されているのかが理解できる。


PS2 内閣府職員変死事件は、今日の正午のNHKニュースでも全く取り上げられず。報道管制でも敷かれているのだろうか。




韓国出張の内閣府職員がなぜ北九州に漂着 謎だらけの展開にネットで憶測広がる
2014/2/ 2 18:42 JCAST
   韓国に出張していたはずの内閣府の職員(30)が、北九州市の海に韓国製のモーター付のゴムボートで漂着、遺体で見つかった。
   日韓関係が緊張している時期だけに、ネットでは様々な憶測が乱れ飛んでいる。
まずゴムボートが見つかった
   この職員は、キャリア官僚で、昨年7月から米国のミネソタ大学大学院に留学中。国際会議に出るといって、2014年の1月に韓国に出張していた。その後の足取りは不明で、フジテレビによると、泊まっていたホテルにはまだ荷物が残っていたが、なぜか本人の名前では預けられていなかったという。
   各紙の報道によると、1月18日午前9時45分ごろ、まず最初にゴムボートが発見された。若松区響町の防波堤から西約500メートル沖合で、遊漁中のプレジャーボート船長から「ゴムボートが漂流しており、中に1人倒れているようだ」と118番があった。
   若松海上保安部の巡視艇が現場に急行し、午前10時すぎ、防波堤近くを漂流していたゴムボートの中に1人が倒れているのを確認したが、荒天のため接近できず、まもなくゴムボートは転覆、乗っていた人は行方不明となった。現場付近は当時、北西の風約12メートル、波の高さは2、3メートル。強風、波浪注意報が発令中だったという。
   そして20日になって、現場の水深約7メートルの海底から男性の遺体が見つかった。海保の発表によると、身長約175センチの中肉中背で2代半ば~30代後半。目立った外傷はなかったという。服装は各紙で多少差があるが、韓国製の服で、紺色のフリースに、黒と茶色のフード付きジャンパーを重ね着し、黒のズボンをはいていた。多数のウォン紙幣も所持していたが、身元が分かる所持品もなかったという。
発表と独自取材が混在
   その後、しばらく続報がなかったが、2月1日になって一部メディアが、「この男性は内閣府の職員」というニュースを流し、各紙が追う形となった。
   いまのところ海保などが発表した情報と、各メディアの独自取材の情報が混在している状態だが、このキャリア官僚が韓国を出国した記録はない模様だ。
   なぜゴムボートにのっていたのか、どうやって北九州沖までたどりついたのか、行方不明になってかなりの時間がたつが、「捜索願い」のようなものは出ていたのか、またこの男性遺体がなぜ内閣府職員と分かったのかなど、まだはっきりしないことも多い。海保では事件と事故の両面で調べを進めているという。
   日韓関係がギクシャクしていることもあり、ネットでは、
「怖すぎ」「迷 宮 入 り 確 定」「どういう背景があるのかさっぱりわからん」「完全にヤバいことに巻き込まれたな」

といった声が出ている。